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"カフェ代だけですみませ〜ん!!"

#2ゲスト:聖夏さん

    ブロードウェイのヒロインに必要な条件は?

 
私のFacebookの友達の中から、毎月お一人にスポットを当て、インタビューするこのコーナー。低予算の個人
ブログのため(>_<)、カフェ代だけで了解してくださる心の広〜い皆様に、気になる "あのこと"について伺います。
第2回目のゲストは、NYのブロードウェイで、日本人初の主演を目指して頑張っている"聖夏さん"です!
 
 

好奇心インタビュー

撮影/タバチエ

Profile

【聖夏

せいか。1991年神奈川県藤沢市生まれ。蟹座のO型。「藤沢市民ミュージカル」(現神奈川県民ミュージカル)での初舞台を経て立花演劇研究所へ。神奈川県立湘南高校在籍中に、芸能事務所ピーチに所属し、CMやドラマに出演。卒業後、ブロードウェイミュージカルの俳優を目指し、NIC International College in Japan、レイクランド大学日本校およびウィスコンシン州の本校を経て、現在、ニューヨーク市立大学ハンターカレッジ3年に在籍。

 

●聖夏オフィシャルブログ

Shooting For The Moon

http://ameblo.jp/itou-seika/

 

 

※以下、撮影者の名前が無記名な写真は、ご家族所有のものや所属事務所の宣材写真を、許可を得て掲載しています。

初舞台は3歳のときの天使役!

 小さい頃からカメラを向けられるとすぐにポーズをとる子どもでした(笑)。物心ついたときから漠然と女優さんになりたいと思っていましたね。はじめて舞台に立ったのは3歳のとき。お母さんが私とお姉ちゃんの新たな友達づくりのために、住んでいた藤沢市主催のミュージカルに私たちを参加させてくれたのが始まりです。舞台に立つのはとても楽しく、そこで指導する先生にすすめられ、立花演劇研究所に入りました。小学校2年のときにお父さんの仕事の関係で引っ越し、2年間大阪に住みました。そこでもダンスとミュージカルを習い、ソロで活動させてもらえるようになって、少しずつ自信を付けていったんです。

 

 その後、藤沢市に戻ることになり、2カ月後に行われた藤沢市民ミュージカル(現神奈川県民ミュージカル)のオーディションに受かりました。そのときの役が評価され、翌年はじめて主役に抜擢されたんです! また、本格的に仕事を始めたのは小学校5年のとき。「この世の外へ クラブ進駐軍」2004年松竹配給、阪本順治監督作品)という映画に出演しました。戦後間もない頃、美空ひばりさんを真似る子役が多く、私もその一人、美空つばめとして、ワンシーンだけですが「東京ブギウギ」を歌いました。

 

 中学のときは学校のミュージカル部に入り、2年のとき部長になりました。演出も自分たちでやっていたので忙しくなり、結局、研究所をやめて、ミュージカル部一本に絞って活動していました。また、高校は伝統的に体育祭でミュージカルをやる県立校に進学。お兄ちゃんが通っていて、小学校のとき、その体育祭を見て以来、ずっと行きたいと思っていたんです。入学後はまずは学校生活を楽しもうと、演劇から離れてテニス部とチアリーディングの委員会に所属しました。チアではリーダーになったので、サブリーダーと一緒に曲を決めたり振り付けを考えたり…。やっぱりこういうことは好きだったんですね(笑)

3歳

はじめての舞台

 

小学3年生

グループからソロで活動

 

 

小学4年生

舞台ではじめての主演

 

 

小学5年生

はじめての映画出演

 

高校時代に所属した芸能

事務所の宣材写真より

ホーム”はやっぱりミュージカル!!

 

 高校2年のとき、お姉ちゃんの大学の入学式に行った際、ケイダッシュ系列のピーチという芸能事務所にスカウトされて入りました。中学のときも芸能事務所から声をかけられたのですが、受験を控えていたので諦めたんです。それをずっと後悔していて、高校でスカウトされたら絶対に入ろうと思っていました! 入った途端にオーディションがジャンジャン入ってきて、学校もたまに休んでましたね(自由な学校なので問題はなかったです。笑)。部活との両立も厳しくなり、結局テニス部はやめました。

 

 受かったオーディションは、ゲーム機かゆみ止め、テーマパークのCM等々、いろんなことをやらせてもらいました。また、ドラマでレギュラーをやったり、最終回だけ出演した作品もありました。でもレギュラーといってもセリフはなく、放送を見たら全然映ってなくて…。そういうお仕事を続けていくうちに、ここは私のホームじゃないなと思うようになっていったんです。いろんな経験ができてすっごく楽しかったんですけど、なんか物足りないというか…やっぱり歌ったり踊ったりしているときのほうが、自分も心から楽しいと思えて。周りがほめてくれるのも、私自身が本当に楽しいと思えることをやっているときなんですよね。ミュージカルから少し離れたことで、「私のホームはやっぱりミュージカルなんだ!」と改めて思うようになりました。

 

 将来やりたいことがはっきりしてきたので、高校2年のとき、卒業後はエンターテインメントの本場、アメリカで学ぼう!と決めたんです。一番の目標はブロードウェイのミュージカルへの主演! そして俳優としてアメリカや日本の映画に出たり、歌も歌えるようになれたらいいなぁと。私は3番目の子どものせいか、両親は小さい頃から私のやりたいことを自由にやらせてくれました。アメリカに行きたいことを告げると、いいじゃん! いいじゃん!(笑)って、2人とも2つ返事で応援してくれて。本当に有り難いことだと思います。

 

 高校卒業後、まずはNIC international College in Japanに入りました。ここは海外の大学進学を目指す人たち向けの英語の専門学校。ネイティブの先生方のもと、朝から夜まで英語漬けのハードな日々が始まりました。ここで1年間学んだあとに渡米する予定だったのですが、FM横浜のWE LOVE SHONANという番組のレポーターに決まったため、せっかくのレギュラーなので、NICの姉妹校のレイクランド大学日本校に編入し、もう1年日本に留まることにしました。そうこうしているうちに、読者モデルをはじめいろんな子がテレビに出られる時代になってきて。私自身もプロじゃないなと感じはじめていたときだったので、本場で勉強して極めたい!という気持ちがどんどん強くなっていったんです。

ブロードウェイを目指しアメリカへ!

 ラジオのレギュラーが終了したので、2012年8月に渡米し、ウィスコンシン州のレイクランド大学本校に編入しました。そして今年の1月、ニューヨーク市立大学(CUNY)ハンターカレッジに編入。そこに移った理由は、もともとニューヨークで学びたかったし、CUNYがブロードウェイに近いマンハッタンにあり、役者を目指すのにいろんなチャンスがあること、また、一般的に高いと言われる留学生の学費が、ここはほかと比べて安いというのもありました(笑)

 

 大学ではミュージックを専攻しています。学部には音楽家を目指す人もいれば、私のようにミュージカルの舞台俳優を目指す人もいて、実際の専攻は幅広いです(個人的にはミュージカルシアターの専攻があればよかったのですが…笑)。今は音楽理論やコードを学んでいて、歌や発声、ダンスやバレエなど、やりたい授業は選択科目で取っています。実は小さい頃からバレエはあまり好きじゃなかったんですが、憧れのシンデレラの舞台を見たら、ヒロインの動きはバレエの振り! ミュージカルにバレエは必要なことがわかり、今はしっかりやらなくてはと思っています。

 

 また、学校外で週に1度、歌を習っています。先生は60代の女性で、本当に素敵な方。ブロードウェイでも主役をされたことがあり、私がちょっと歌っただけで、ここに力が入っているわよってすぐにわかるんです。歌い方だけでなく、「舞台に立つ者は、人のエゴなど目に見えないたくさんの荒波の中に立たなきゃならない。だから自分自信をしっかりさせる必要があるの」「観客は日常から離れたいからエンターテインメントを見に来るの。私たちは観客をこちらの世界に引き込む強さを持つことが大事なのよ」など、舞台に立たれた方ならではの精神論を伝えてくれるので、なるほど〜!!って思うことばかりでとても参考になります。

 

 その先生がすすめてくれたワークショップに、この夏、参加してきました。そこでは歌の技術ではなく、歌のワンシーン、ワンシーンをどのように感情を込めて表現するかを教えてくれたんです。演技はどちらかというと苦手意識があったのですが、それはとてもためになりました。ようやく最近になって、役の気持ちに入り込めるようになり、演じることが面白くなってきましたね。

上)マンハッタンのヒルトン・ニューヨーク・ホテル前にて

右)同じくマンハッタンのリンカーン・センターでアメリカン・バレエ・シアターの公演を観に

8月某日 夏休みで一時帰国の際、広尾のタイレストラン「サムロー」に出演 撮影/伊藤泰史

NICとレイクランド大学日本校がある思い出の新宿三丁目界隈で。撮影/タバチエ

人種や国籍を超えてヒロインに

 ブロードウェイの舞台に立つには、まずはカンパニー…日本の劇団みたいなものですね…に入り、そこを拠点にオーディションを受け続けます。私自身も今、所属するカンパニーを探しているところです。留学生はカンパニーに所属して、そこが主催する舞台に立つのは問題ないのですが、大学を卒業するまで基本的に仕事はできません。そのためブロードウェイのオーディションに受かっても参加することはできないのですが、卒業するまでの残り2年の間、場の雰囲気には慣れておきたいので、 この秋から実際のオーディションを受ける予定です。

 

 実はブロードウェイにはグリーンカード(永住権)がないと出演できないので、とりあえず今はオフ・ブロードウェイを目指しています。グリーンカードを取得するには、カンパニーに所属して実績を積むことで認められるアーティストビザを申請し続ける必要があるんです。そう言えばグリーンカードには抽選もあるんですよ!(笑)アメリカっぽいですよね。これにも応募し続けるつもりです。

 

 日本人は役柄の見た目が似ているということで、たとえば「ウエスト・サイド・ストーリー」や「ミス・サイゴン」など出演できる舞台がほとんど決まっているんです。これをタイプ・キャスティングというのですが、どうせやるなら、私は国籍関係なく、主役をやりたいと思っています。身長は154cmでアメリカ人と比べてかなり小さいですが、今、ブロードウェイで人気の「ウィキッド」のオリジナルキャストの主役の方は、特に小さい役柄が必要とされるわけではないのに、私より身長が低い。そういう方が実力で主役に選ばれることに勇気がわいてきます。また、主役は周りを盛り立てられる人こそふさわしいと思うので、両親をはじめ、いつも周囲に感謝する気持ちを忘れないように心がけています。

 

 まだ日本人はブロードウェイの舞台で主役をやったことがありません。でも、時代は変わり、今はさまざまな人種、国籍の人がブロードウェイを目指しています。毎年多くの新しいミュージカルもつくられているので、いつかきっと日本人でも主役になれる日がくると信じています。自分のキャラクターを生かし、私だけにしかできない役でブロードウェイの舞台にヒロインとして立てる日を目指して、これからも練習に励んでいきたいと思っています。

インタビューを終えて

 

 聖夏さんとは、今年の5月下旬に参加した、デンマークの教育と自然エネルギーの現場を訪ねるスタディーツアーで出会いました。聖夏さんは保育園の園長先生を勤めるお母さまとの参加。日本での説明会の際、お母さまから、ニューヨークでブロードウェイの舞台俳優を目指しているお嬢さんがいらっしゃり、現地で直接待ち合わせされることをお伺いしていたので、とても楽しみにしていました。

 

 ブロードウェイと言えば、私の中ですぐに思い浮かぶのは、映画「コーラスライン」(古い!? 笑)。そんなこともあり、聖夏さんにも、壮絶なオーディションを勝ち抜く強靱なハートを持った、美人だけど強面で、なぜか体格のいい(笑)女性をイメージしていました。でも現れたのは、華奢で上品な可愛らしい女の子。いい意味でまったく期待を裏切られました。でもツアーで1週間ほど一緒にいると、彼女は可愛らしいだけでなく、いつも元気で、周囲を明るくするパワーがあり、何よりも貪欲に物事を学び取ろうとする姿勢が感じられました。さまざまな国籍や人種の人々が、今もチャンスを求めて活動するエネルギッシュな街、ニューヨークで舞台俳優を目指す、一人の強い意志を持った女性の姿を垣間見た気がしました。

 

 聖夏さんが海外に興味を持ったのは、テレビ番組「ディズニー・チャンネル」の「リジー&Lizzie」がきっかけとか。私の1歳の姪もディズニーの番組はよく見ているのでなんとなく知っていましたが、個人的な"海外憧れ体験"はネスカフェのCMや「兼高かおる 世界の旅」だったので(笑)、当然とは思いつつも、軽い(!?)ジェネレーションギャップを感じました(笑)。今回知りたかったブロードウェイの舞台に立つまでの流れが、聖夏さんの活動を通して皆さんにわかりやすく伝わったら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァージン・モヒート」が美味しかったですね! 撮影/タバチエ 訪れた店:ブルックリン・パーラー新宿店

 

 最後にブロードウェイで多くの舞台を見ている聖夏さんにやりたい役を聞いてみると、「シンデレラ」のような音楽が素晴らしく、素敵な衣装をたくさん着られる役です!という可愛い答えが返ってきました(^^)。取材当日も可愛らしいファッションに身を包んできた聖夏さんですが、学生時代、ラジオのパーソナリティーを担当していたときのスタッフからのコードネームは「爆弾娘」(笑)。オーディション中、そのコードネームで呼ばれ、最終的にパーソナリティー素人の聖夏さんが受かりました。その名前の由来は…何をやり出すのか予想がつかないので面白い。そんな彼女が日本人初のヒロインとしてブロードウェイの舞台に立つ日も案外近いのかもしれません(*^_^*)

 

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