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Profile

#3ゲスト:水沢そらさん

    発想の源を教えてください!

 
私のFacebookの友達の中から、毎月お一人にスポットを当て、インタビューするこのコーナー。低予算の個人
ブログのため(>_<)、カフェ代だけで了解してくださる心の広〜い皆様に、気になる "あのこと"について伺います。第3回目のゲストは、独特の感性で見る人の心を"鷲づかむ"、新進気鋭のイラストレーター、水沢そらさんです!
 
 

"カフェ代だけですみませ〜ん!!"

【水沢そら

みずさわそら。1978年北海道函館市生まれ。蠍座のA型。バンタンデザイン研究所ビジュアル学部卒業。MJイラストレーションズ在塾中。現在は雑誌のイラストや書籍の装丁などで活躍中。2009年より精力的に個展やグループで作品を発表している。

●Awards

Gallery House MAYA "装画を描くコンペティション Vol.13" MAYA賞
第11回TIS公募 銀賞
第186回チョイス入選
第185回チョイス準入選
第14回ノート展 審査員大塚賞受賞
第4回イラストレーターズ通信コンペ サカイノビー賞
HB Gallery ファイルコンペVol.23 3次通過

●SORA MIZUSAWA PORTFOLIO

http://www5.ocn.ne.jp/~rubyred/

 

 

 自分でこんなことを言うのもどうかと思うのですけど、幼稚園からお受験の生活で、地元では高校までそこそこいい学校に通ってたんです。でも高校を卒業する頃にはこれ以上勉強するのが嫌になっちゃったんですね。もし今だったらひょっとすると頑張って勉強して美大に行くこ とも考えるかもしれませんが、当時はもう受験するのが本当に嫌で仕方ありませんでした。

 

 中学時代は軟式テニス部のキャプテンをやってましたが、高校ではフォークソング部と美術部に入部。そんな流れもあって、東京の美術の専門学校へ行くことにしたんです。

 

 専門学校ではポップアート科(当時)に在籍していましたが、学校外で知り合った人たちと遊び歩いてばかりで、ほとんど授業には出席しなかったですね。今とつながることで言えば、現代美術のグループがあって、その人たちが集まるところに顔を出すのがすごく楽しかった。ファインアートが主体なんですけど、ペインティングがあったり、舞踏もあったりして。当時、駒場の東大に寮があり、一部屋が70平米ほどあって、結構広かったんです。そのグループの何人かがそこに住んでいて、その部屋を改装したギャラリーも運営していたので、僕もよく泊まりに行ったり、遊びに行ったりしていました。今思うとでたらめな生活だったと思いますが、面白かったですね。90年代後半頃のことです。

地元の進学校から

東京の専門学校へ

 

 

 

 

 

 

 

料理が大好きなそらさん。お店で食べた味を家で再現することもしばしばとか。上から「ラムとほうれん草のカレー」「テンペを使ったヴィーガンタコライス」「叉焼(バラと肩ロースを使って)」「牛すね肉煮込み」。本人曰く「子ども時代におもちゃを作った想像力は、イラストよりも料理作りに影響を与えている」のだそう。

小さい頃のそらさんとお母さま。そらさん、So cute!

お母さまは趣味でイラストを描いていたそう。地元のミニコミ誌の表紙を飾っていたことも。血は争えません!

10年間イラストを

まったく描かなかった

 卒業後はちょこちょこと雑誌のカットなどを描いたりしながら、アルバイトをしつつ、自分の作品も描き続けていました。当時は表参道の同潤会アパートにあったgallery ROCKETで友人と2人展をしたり、他にもいろいろなグループ展に参加したりしていましたが、あることがきっかけで、絵を描こうというモチベーションがある日突然、きれいさっぱりなくなってしまったんです。

 

 モチベーション自体がなくなってしまったので、描かないことへの焦りもなく、もう僕は絵を描かなくても大丈夫な人間になってしまったんだと思ったんです。その後はイラストレーションとはまったく関係のない仕事に就き、気がつくといつのまにか10年近い月日が流れていました。

 

 またイラストレーションを描きたいと思うようになったのは30歳のときです。当時努めていた会社である日、宅配会社の送り状を朝から夕方までずっとコピーしていたのですが、ふと「なんでこんなことをしてるんだろう」って思ったんですね。そういえば絵を描きたくて東京に来たのに、もう10年近く描いてないなぁ、なんか描いてみようかなと思い立ち、また家でちょこちょこ描き始めたんです。そうしたら描けば描くほど描きたくなって、これは(描きたい気持ちが)戻ってきたのかな、じゃあもう一回頑張ってみようかなと。

 

 そこで、もう一度イラストレーションを描き始めたのはいいのですが、自分がどうしたいのかが、まずわからない。10年も描いていないと、絵の話ができる仲間すらいない。いろいろと悩んだ末に、イラストレーターの峰岸達先生が主宰なさっているMJイラストレーションズを知り、そこに入塾しました。2年半ほど前のことです。そこで自分の作品をこてんぱんにされ、なるほどと思ってまた試行錯誤を繰り返し、今の技法に行き着いたのはほんの1年ほど前です。

上)部屋のいたるところにキュートなものたちが。作品に"ガーリー"を感じるのは、こんなところからもうかがえます。一番下)レコードとCD収集が趣味。好きなLPジャケットにイラストのヒントを得ることも。

 今の技法になる前は、普通に絵の具を用いたペインティングでした。当時、思うように作品を描けなくなってしまった時期があったのですが、そこで気分転換で何となく切り絵を作っていたら、以外と周囲の反応が良かった。最初は遊び半分だったんですが、調子にのって次々と今の技法で作品を描くようになりました。描くスピードも前と比べてぐんと早くなったのですが、もしかすると自分のイラストレーションと言えるものが少しだけ見つかったからなのかもしれません。

 

 これからも文芸関係で装画や挿絵を描きたいというのはもちろん、広告やテキスタイルなどやってみたいお仕事はたくさんありますが、その他にも僕が知らないだけで、僕の描く作品に合う仕事というのはいっぱいあると思うんです。今まであまり僕が描くようなイラストレーションが使われにくかった分野に描くというのも、仕事としてアリなんじゃないかと。

 

 どんな分野でも、水沢にこれを描かせたら面白いものができるだろうという気持ちでオーダーをいただけたら嬉しいですね。こちらはそれに対してどんなボールが投げ返せるか。先方が期待してくださることからそれずに、さらにその上のものを返して、水沢に頼んで良かったという作品の作り方をこれからも心がけていきたいと思っています。10年のブランクがあったからかはわかりませんが、今は描くことが本当に楽しくて楽しくてしょうがないんです。


 

今は描くのが楽しくて

しょうがないんです

autamn_mj以外、個展"pirika mer"より。※マウスを右端中央に置いてクリックすると次のイラストに移動します。

そらさん語録1よく独特の手法と言われるんですが…先日の個展でも、いろいろな方に黒目の部分がくり抜かれているのが面白いですねと言っていただいたのですが、初めてなるほどね、と。この技法になったとき、最初は目を黒く塗ってたんです。でも 目を黒く塗ると、やはり作品を見る側は、まず顔に視線が集中しちゃうんですよ。画面が顔にコントロールされてしまう。僕は別に顔だけを見せたいわけじゃなかった。なので、じゃあ目を塗るのをやめてみようと思っただけなんです。

そらさん語録2:男性も描きますが、女の子が大好きなので。へんな意味じゃないですよ(笑)、女性の造形や線の柔らかさがすごく好きなので、オリジナル作品はやっぱり女性が多くなるのかもしれません。かっこ悪さとかっこ良さ、かわいさと怖さなど、僕の作品には相反したイメージを感じると言っていただくことも多いのですが、それは決して何かを意図しているわけではなく、今まで僕が経験してきたものが反映されているだけだと思います。

そらさん語録3:僕がかっこいいと思うものは、綿密なもの。しっかりと細部まで練られているもの。たとえその緻密さに誰も気がつかなくても、しっかりと、ひっそりと成立しているようなもの。実は僕自身の作品にもそんなこだわりはあったりします。

 

2013年7月、タンバリンギャラリーで行われた個展"pirika mer"よりdm2013。

●Exhibitions

2009年4月-5月 2人展"Vamoosh"  (Anis)
2011年2月-3月 個展"i ram ka ra p te" (niwa-coya)
2011年5月 グループ展"メタ少年展" (ターナーギャラリー)
2011年12月 "Fantastic Days 2011" (タンバリンギャラリー)
2012年2月 グループ展"1978"(ギャラリーDAZZLE)
2012年4月 MJ展(PATERS's Shop & Gallery)
2012年8月 "ロバミュージアム"(タンバリンギャラリー)
2012年10月 "ポスターを描く3"(ギャラリーDAZZLE)
2013年3月 "Visitor"(Grass Hut/Portland, OR)
2013年4月 "忌野清志郎追悼展~愛し合ってるか~い?~VOL.5"(Coolie's Creek)
2013年7月 個展"pirka mer"(タンバリンギャラリー)

​※以上2013年10月現在までの記録です。

 まず、僕の「そら」という名前について。よくペンネームに間違えられるのですが、これは本名で、母が付けまし た。松尾芭蕉の弟子の名前(河合曾良)から取ったそうですが、僕の字は「宇」。「宇宙まで飛んでいくように」という思いからだそうです。母はちょっと変わってるんですよね(笑)。「宇」だとほとんど誰も読んでくれなかったので、イラストレーターとしての名前は平仮名にしました。一時期、漢字に戻そうかと考えていたんですけど、タイミングを失ってしまって。今はおじいちゃんになってから戻してもいいかなと思っています(笑)

 

 僕はファミコンが最初に流行った世代に当たるんですが、親の教育方針でおもちゃをほとんど買ってもらえなかった。だからファミコンも自分で作るしかなかったんです。お菓子の箱の裏ってテレビの形みたいになってますよね?(笑)僕は子どものとき、友達の家でやった面白かったゲームをそこに描いて、想像してやってたんですよ。今思うと、相当変な子どもだったんでしょうね(笑)。そうそう、当時流行っていた「アラレちゃん」も自分で描いていたんです(笑)。漫画を買ってもらえなかったから、その日にテレビで観たアラレちゃんを自分なりに想像して…。

自分でおもちゃを作った

幼少時代

 

 

 

 

 

 

 

水沢家の愛猫チャッくん。7歳。

個展"pirika mer"より。

 作品中のテキスタイルデザインがとても可愛いので、何を参考にしているのかお聞きしたところ、生地などを見てヒントは得ても、すべて一からデザインを考えるているとのこと。その過程も楽しいと言うそらさん。ファッション以外にも作品に描かれている小物など細部にも目を向けてみると、さらに面白い発見があるかもしれません。

 

 夏にギャラリーでお会いしたときは、まだ新人なのでほとんど仕事はしていませんと答えていたそらさん。あれから3〜4カ月しか経っていないのに、すでに書籍の装画を何冊か描いていたり、トークショーに出られたりなど活動の場を広げています。イラストを描くことを心から楽しみ、一つ一つの仕事に真摯に取り組んでいるそらさんは、今や無敵! 10年のブランクが原動力となり、イラストレーターとしてまさに躍進中のそらさんから、ますます目が離せません!(*^_^*)

 

 

 

今回はそらさんのご自宅で取材をしたため、お土産に「はらドーナッツ」を

持参。すっかり撮り忘れてしまい、帰りにカフェで撮影しましたf(^ー^;

訪れた店:はらドーナッツ吉祥寺店

 

インタビューを終えて

 

 水沢そらさんとはじめてお会いしたのは、今年の夏に行われた、そらさんの個展"pirika mer"(アイヌ語で「素晴らしき閃光」)のギャラリーで。Facebookで、そらさんの作品を先に堪能した人の投稿を読み、これは絶対に自分の目で見なくてはと思い、雨の日の個展最終日にお伺いしました。

 

 実際に作品にふれると、どの作品からもたくさんの可能性を秘めた、まさにほとばしるような才能が感じられました。また、そらさんとお話すると、とても言葉が丁寧で低姿勢。何よりナレーターのように重厚感のある落ち着いた声が素敵だなぁと思いました。後日、イラストのかたわらバンドでボーカルをやられていることを知り、なるほど!と思ったものです。

 

 作品は独自の切り絵の技法もさることながら、背景にハッとするような漆黒を持ってきたり、見る者のイメージをかき立てるような、たとえば、少女たちが銃を構えていたり、ヒッピーのような出で立ちの少女が遠くを見つめていたりする独特な状況設定、人物たちの素敵なファッション、いたるところに散りばめられた花々…それらのセンスがいったいどこから来るのかをお聞きしたいなぁと思ったのが取材のきっかけでした。

 

 お話をお伺いして、こちらが思っていたことは、そらさんが意図してやったことではなく、今まで蓄積された経験から自然発生的に作品に投影されたものだということがわかりました。その蓄積されたものの中には、当然ご両親の存在もあると思います。今回ご家族についてはあまりふれませんでしたが、お父さまもかなりユニークな方で、今のそらさんができるまでに大きくかかわっているのだろうと思いました。

 

 

 

 

 

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